◎蒲生の城


3.河井城跡

 河井城は、川合本郷集落西部に位置し、佐々木六角氏に仕え、川合を本拠とする土豪の河井氏の居館とされ、主郭は方形で方40間(約72.7m)、内郭は35間(約63.m)の規模を持ち、四周に堀と土塁を廻らした方形単郭四面土塁形式の居館であった。

 

寛文8年(1668)より、屋敷の半分は開拓されて人家が建てられ、未開拓部は竹藪となった。大正時代になって、居館跡の北側に道路が出来て、堀は埋められ、北西隅の小高い土手に稲荷社が祀られていた。昭和59年(1984)のほ場整備までは、南西に幅7.2mの堀が南北に約20.0m残っていたが、今は水路となっている。

河井氏が初めて資料に登場するのは、南北朝時代に日のの祇園社領成安保の領有紛争である。享徳2年(1453)東寺所有の三村荘(所在場所不明)での荘園紛争では東寺の代官や麻生荘(蒲生)の代官となつているが、織田信長の侵攻による六角家の敗北により、河井氏も運命を共にしたようである。

 

河井城の現状

河井城位置図